農業用鉄コンテナ事業:
農業への貢献という信念が築いた主力事業
Business
現場の声から始まった挑戦、全国シェアを築いた鉄コンテナ事業
農業用鉄コンテナ事業は、芽室農協から塚田英樹が相談された困りごとをきっかけに2001年にスタートしました。数々のトラブルを乗り越えながら、そのたびに改善を重ね、現場に寄り添った営業とアフターサービスを武器に、十勝から全国へと展開。今では47都道府県に導入され、セイカンの主力事業のひとつとして確かな地位を築いています。
テキスト:吉田拓実
写真:﨑一馬
事業名
農業用鉄コンテナ事業
事業内容
農業用鉄コンテナ事業は、セイカンの主力事業の一つです。セイカンは、農業用鉄コンテナ分野において国内トップシェアを誇り、その製品は47都道府県すべてに導入されています。
セイカンの農業用鉄コンテナは、農業現場のニーズをもとに自社で企画・開発され、製造は主に中国の協力企業と連携して行われています。ラインナップは、メッシュコンテナ、スチールコンテナ、そしてセイカンが全国で初めて開発した底部排出型ホッパーコンテナの三つのカテゴリ。定型の定番品から、農家・農協・企業ごとの要望に応じた特注品にも対応し、農作物の収穫時の作業負担軽減や物流の効率化に貢献しています。

事業の経緯
セイカンが農業用鉄コンテナの取り扱いを始めたのは、2001年のことでした。きっかけは、当時の社長・塚田英樹が、取引先の芽室農協から「本州の会社から購入したコンテナの状態が悪いので、どうにかできないか」と相談を受けたことでした。現場で困っている農協の状況を知った塚田は、農業用鉄コンテナの導入を本格的に検討し始めます。
当時の業界は、国内製造が主流でしたが、セイカンはすでに輸入資材の取り扱いに実績があり、中国での製造による低価格化を目指してメーカー探しに乗り出しました。塚田は、のちに中国支店長となる通訳の李氏とともに、中国各地の展示会やコンテナメーカーを訪問。日本で使われている農業用コンテナと比較しながら、現地での製造体制を構築していきました。この挑戦を機に、他社製品を卸売していたセイカンは、企画設計や品質管理を行うメーカーとしての側面を持つようになります。
そして2002年7月、最初の輸入コンテナ3000基がチャーター船で十勝港に到着しました。しかし、不運にも輸送中に台風に遭遇し、多くのコンテナが破損。大量輸送のノウハウも乏しかったため、港に着いたときには、多くが歪み、崩れていました。社員総出で積み下ろしと修理にあたり、芽室農協の柔軟な対応にも助けられ、セイカンはこのコンテナ事業最大の危機を乗り越えました。

その後も、サビの発生や品質の不安定さ、強度不足といった輸入資材特有の課題が次々と浮上しましたが、鉄コンテナ事業に全力で取り組んでいた塚田英樹の指揮のもと、一つひとつ解決していきました。セイカン社内に技術者を育成し、自らもたびたび中国の工場を訪問。信頼関係の構築と品質向上に務めるその熱意に応えるように、課題は次第にクリアされていきます。現在では品質と価格の両立を実現した体制が整い、セイカン帯広支店の会議室には中国のメーカーから塚田英樹に贈られた「英姿颯爽依旧 樹茂千丈如前(英壮な姿は変わらず、樹々は以前と同じように青々と茂っている)」と書かれた掛け軸が飾られています。
2003年、マグニチュード8、最大震度6弱を観測した十勝沖地震が発生しました。作物を満載した状態で農協の倉庫に積み重ねられてた他社製コンテナが大きな揺れにより崩れてしまうなか、セイカンのコンテナは補強を入れていたことで揺れに耐え農産物を守り抜きます。このことは顧客から大きな信頼獲得につながりました。
参考記事:十勝沖地震発生:倒壊を免れたコンテナがある。それはセイカン製だった
かつて「安かろう、悪かろう」と言われたセイカンのコンテナは、品質向上の努力、最適な機種を提供できる体制構築、確かな実績を積み重ねたことで、北海道内で確固たる地位を築いていきました。とくに従来のメーカーとは異なり、顧客の要望に応えるためにスチールコンテナとメッシュコンテナの両方を提供可能でオーダーメイドにも対応できる体制を構築したことはセイカンの強みとなりました。2004年、販売先が青果会社など農協以外にも展開され、さらに2005年からは、北海道外への展開が始まります。農協以外の販路開拓と道外展開の中心となったのは塚田博信氏です。
参考記事:農協以外への販路を拡大したことで見えた未来
参考記事:会社の環境を変えるためには、新市場に出ていくしかない~道外販路開拓開始~
単身で日本全国を回り、鉄コンテナの利便性と有用性と伝えていく営業活動により、鉄コンテナの利用が一般的でなかった地域や作物にも徐々にシェアを広げていきました。
そして2012年、農業用鉄コンテナの営業を専門とする営業2課が創設され、それまで役員が担っていた営業業務は、新たなスタッフに引き継がれていきました。
セイカンらしさ
農業用鉄コンテナの取り扱いについては、当初、塚田英樹以外の役員陣は反対していました。未知の製品であることに加え、数量や金額がそれまでの事業とは比べ物にならないほど大きかったからです。
それでも塚田英樹は、「十勝農業に貢献できる」という強い信念のもと、低価格かつアフターサービスの行き届いたコンテナを提供することの意義を説き、自ら先頭に立って事業を牽引しました。
最初は反対していた役員たちも、方針が決まった後は一致団結。数々の困難を乗り越え、粘り強い営業活動と丁寧なアフターサービスを積み重ね、事業拡大に貢献しました。
一方で、セイカンの農業用鉄コンテナを道外にも広げようとした塚田博信の試みには、当初、塚田英樹は否定的でした。彼は北海道農業への貢献を第一に考えていたからです。しかし、塚田博信が始めた北海道外への営業活動により、「全国の農業にも貢献できる」という視点が加わり、セイカンのコンテナは全国47都道府県へと広がる結果となりました。
セイカンの鉄コンテナの強みは、単なる製品供給にとどまりません。農業に関わるさまざまな情報とネットワークを持ち、現場の課題を解決するための提案と柔軟な対応ができることこそが、セイカンらしさの真髄です。


このエピソードのDNA
- 芽室農協の困りごとについての相談がきっかけで始まった
- 中国を周り、独自の製造ルートを確立した
- 逆境の度に改善し、より良い農業用鉄コンテナを開発した
- セイカンの鉄コンテナの強みは、農業に関わるさまざまな情報とネットワークを持ち、現場の課題を解決するための提案と柔軟な対応ができること