“足繁く通い、粘り強く交渉を続けるうちに、同社の社長から信頼を得て、ようやく仕事を受注します”
十勝管内のドラム缶洗浄を数年で独占、しかし襲い来る変革の波札幌業務課
垣内 勇人
営業経験がない中でも、泥臭く通い続ける行動力と深い関係を築いていく関係構築力でシェアを拡大させたことはどんな仕事にも通ずる能力であり、営業だけでなくセイカンの全部署が意識しておきたいことだと思いました。
1968年、十勝の帯広のドラム缶洗浄工場立ち上げから、セイカンの挑戦が始まります
1968年、セイカン株式会社の前身である北海道ドラム工業は帯広にドラム缶洗浄工場を立ち上げる形で創業しました。創業者の塚田五郎は小樽に事務所を構え、当時26歳の息子の塚田英樹が帯広で事業を牽引しました。営業未経験、十勝の人々とのつながりもゼロ。セイカンの礎を築く挑戦はここから始まったのです。
テキスト:吉田拓実
セイカン株式会社のルーツは、1968年9月に創業した北海道ドラム工業にさかのぼります。北海道ドラム工業の創業者は塚田五郎。塚田五郎は小樽にある小樽容器工業で専務取締役を務めていましたが、独立を決意。同時期にキャタピラー三菱に勤めていた息子の塚田英樹から、十勝で仕事をしてみたいという相談を受けていたこともあり、十勝の帯広に工場を持つ、北海道ドラム工業を設立します。創業には小樽の有力企業である北海道通信電設グループが資本参加しています。塚田五郎は同グループの経営者であり、小樽商業界の重鎮であった山本勉氏と、公私ともに親交があったといいます。
北海道ドラム工業が手掛けたのはドラム缶の洗浄です。当時、燃料油の輸送にはドラム缶が広く使用されていました。このドラム缶を継続して利用するには定期的な洗浄が不可欠で、北海道ドラム工業はこの洗浄を請け負う、ドラム缶洗浄工場を十勝の帯広に作りました。この工場の立ち上げを担ったのが当時26歳の塚田英樹でした。社長である塚田五郎と経理部門は小樽に事務所を構え、実際の事業は塚田英樹が率いる帯広の工場で行うという体制で、北海道ドラム工業は創業しました。
工場立ち上げに向けて、塚田英樹はキャタピラー三菱を退職、小樽容器工業の釧路工場で2年間ドラム缶洗浄のノウハウを学びます。その経験を活かし、北海道ドラム工業の帯広工場の運営を始めました。工場のスタッフは、彼を含めわずか2人。まさにゼロからのスタートでした。

営業経験のなかった塚田英樹が最初に開拓したのは、共同石油(現在のENEOSの前身)のドラム缶を扱っていた株式会社原田でした。当時すでに十勝にドラム缶洗浄を行う会社が他にも存在していたこともあり、新参の北海道ドラム工業が仕事を受注するのは決して簡単なことではありませんでした。足繁く通い、粘り強く交渉を続けるうちに、同社の社長から信頼を得て、ようやく仕事を受注します。後には、社長が亡くなった際、塚田英樹氏が弔辞を務めるほど、深い関係を築くまでになりました。その後も、塚田英樹の営業活動によりドラム缶洗浄のシェアを拡大。4〜5年で十勝管内を独占するところまで成長します。
順調に業務を拡大していった北海道ドラム工業でしたが、1973年の第1次オイルショックが大きな転機となります。燃料輸送の形態が変わり、タンクローリーによるバルク配送が主流となると、燃料用ドラム缶の需要が激減しました。必然的に、洗浄の仕事も大幅に減少しました。しかし、これをきっかけに、北海道ドラム工業は新たな事業へと歩みを進めることとなりました。
1968年に北海道ドラム工業として創業。1971年には、社名を北海道セイカン工業に変更しました。「セイカン」とは、「清掃」と「ドラム缶」を組み合わせた言葉に由来しています。そして2018年、現在のセイカン株式会社へと生まれ変わりました。

