農協以外への販路を拡大したことで見えた未来
Story
2004年、始まっていたコンテナ事業を農協以外へと広げた塚田博信
2003年入社の塚田博信は、セイカンの現場を観察する中で"新たな可能性"を見出していました。それは農協以外でもコンテナの需要があるのではないか、ということ。一人北海道中に営業範囲を広げ、地道な努力で初年度に約3,000基を販売。既存の枠を超えた挑戦が新市場を切り開く契機となりました。
テキスト:外山暁子
写真:崎一馬
民間企業の敷地に並んだコンテナが新たな挑戦のきっかけに
2003年に帯広熱器センターに入社した塚田博信。ほどなくして、セイカンの業務マニュアルを作るため、会社にも頻繁に出入りするようになります。
2001年にコンテナ事業が始まって数年。当時は農協との取引に注力していたこともあり、新たなチャネルへの動きはこれからという段階でした。
そんな中、塚田博信は民間企業の敷地に並ぶコンテナを目にします。
“民間企業でコンテナを使っている企業にも、営業活動ができるのではないか”そう考えた塚田博信は会長に相談。「農協以外の営業チームはないから、まず自分で推進してみてくれ」と指示を受けた塚田博信は、電話帳を見ながら1件ずつ推進をかける、そんなゼロからのスタートをたった一人で始めました。
電話帳をしらみ潰しに営業する日々
とは言え、何の情報もなかった当時ですから、まずは電話帳で「青果業・青果店」の項目を印刷し、営業する日々が始まります。
「「○○青果」と表記してあって、行ってみたら八百屋ということもたくさんありましたし、会社の住所が社長の自宅という場合もありました。当時ですからホームページやGoogleマップもないですし、電話か直接行くしか方法はないですよね。行ってみてコンテナを見つけたら、嬉しくなって飛び込み営業。飛び込み営業は銀行員時代に鍛えられていたので、現場の反応をすぐに得られることに手応えを感じていました。でも、1件1件それをやっていると非効率で」
さらに、これまでの農協では”セイカン”の名前は知られてきていましたが、それ以外ではそもそも知名度がないという課題もありました。そのため、コンテナの製品としての信頼、さらにセイカンの会社としての信頼、その両方を得るための努力をする必要がありました。
コンテナについては、サンプルコンテナをトラックやワゴンに積み込み、現地で組み立てて見せることもあったり、強度試験のデータや結果を持ち歩き、常にカバンは資料でいっぱいという状態。
「実物があっても、そこまで真剣には見ていないんですよね。今は何百基、何千基の単位の大型受注もありますが、そこまでの基数にはなりませんでした。何かトラブルがあったら土日でも夜中でも来なさいよ、と言われて。とにかく、品質自体が信用してもらっていなかったですね」。
電話帳をしらみ潰しにする営業活動を続けている中、ある道東の企業で目にしたリストが営業活動を劇的に推進してくれるようになります。
組合のリストを手に入れてわかってきたこと
営業活動に訪れた道東の企業の事務所で、ふと目についたものがありました。
野菜出荷関係の組合の社名が載ったリストが貼ってある黒板。チラチラ見ている塚田博信を見て、その場でリストのコピーをもらうことができたのです。
「あれはありがたかったです。野菜にも組合やグループがあるんだってことが分かって、可能性が高いところも分かってきたので、営業活動の濃淡を付けられる。それで効率がグッと上がりましたね。業者さんとしても新鮮だったと思います。僕らみたいなところが飛び込んでいくってあんまりないですから」。
最初の顧客は羊蹄の農業法人。塚田博信はその後も地道な営業を続け、初年度で10件以上、基数は約3,000基を販売するに至ります。

現場を見て、聞いて、新たな道を切り拓く
当時のセイカンは、農協との取引を主軸に据えながらも、次の可能性を模索する過渡期にありました。塚田博信は、目の前のお客様のニーズにもっと応えられるのではないかという思いから、自ら動き始めました。
「当時の営業は、農協様へのルート営業が中心でした。そこはしっかり取り組みつつ、自分の役割は現場の声を聞いて、新たなチャネルや関係性を模索していくことだと感じていました」。
塚田博信の提案で始まった農協以外への販路開拓は、これまでの概念を覆す、ひとつのきっかけのようなできごとでした。

このエピソードのDNA
- 小さな違和感を起点に動く
- まずは動き、行動しながら道を模索する
- 行動の中から道筋を見つけて成果につなげる