高橋 文男
元専務取締役 People
わからないことは勉強する。まずは行動する。「これぞセイカン」のオールマイティビジネスマン
1981年(昭和56年)の入社から2019年(令和元年)まで、実に38年。人生の半分以上をセイカンで過ごしてきたという、高橋文男氏。「農家に貢献する」塚田英樹氏の思いに共感し、セールスエンジニアとして、営業から修理までを第一線でこなし、さまざまな苦難を英樹氏と共に乗り越えてきた「ザ・セイカン」。これは、その半生の物語です。
テキスト:外山暁子
写真:﨑一馬
編集:吉田拓実
セイカンとの出会い
セールスエンジニアとして
私は学校卒業後に新日本製鉄(現:日本製鉄)に就職したんですが、病気になって地元に帰ってきたんです。それで地元で金型の設計や配線などを扱っている会社に就職していたんですが、前職に比べると給料が半分になりました。ちょうど結婚したり、母親の面倒も見ないといけなかったりで、条件の良い仕事を探していたんです。それで、自分の技術を生かせそうな「石油暖房機器の修理や整備」という技術職の仕事の求人を見て応募したのがセイカンとの出会いです。
面接は当時所長だった会長(塚田英樹氏、以下略)でした。自分は機械類が好きで、しゃべるのは苦手だからサービスにしてくれって言ったんですが、「うちはセールスエンジニアだから。営業もサービスも兼ねてやって欲しい」ってことで、すぐに入社が決まりました。1981年の4月のことです。
それまで機械類はいじってきましたが、営業はしたことがありません。1日だけ会長について回って、その後はですね「よし、どうぞやってくれ」ということになりましてね。なかなかですよね。でも当時は商品も少なかったですし、農協の窓口を教えてもらえれば、後は頼むって感じで。
当時は営業は3エリアに分かれていてそれぞれ名前が付いていました。十勝の西側、清水町方面が上り線、東と西方面がちほく線(下り線)、それと南方面の広尾線。その3線で動いていたんです。何日も同行するということはなかったですが、それでも営業としての在り方については毎日会長から教えてもらっていました。もう、そこからは会長の見よう見まねです。
最初は断られるところから始まる
会長から言われていたのは、とにかく「1回であきらめるな」ということなんですよね。最初からね、「いいですよ」っていうのは、まずないと思うんです。断られるところから始まるんですよ。農協に行っても、そもそも既存で扱っているメーカーさんがあるわけで、そこをかいくぐっていくわけですから。ダメだって言われるのが基本ですね。
会長は当時、ある農協に行って、当然営業ですから表から普通に入って行ったら「どこの馬の骨かわからんもんが、なんで表から入ってくるんだ」って言われて、素直に裏から入ったら「なんで裏から入ってくるんだ」ってまた怒られて…。めちゃくちゃですよね。でも、そういう中から、徐々に人間関係を作っていったと。結局、そういうとここそ、後々良い関係になったりしてね。
だから、まずは商品を売るんじゃなくて、自分を売るってことですよね。
しかも、社名が「北海道セイカン」って、知名度がないところでは、農協にも生産者にも、何を扱っている会社かわかりにくかったんです。そういうこともあって「営業はまず最初は断られるものだ」っていうことを教わりました。
営業というのは、しつこく通うか、すぐにやめるかっていうところなんですけど、私はそういう面では、しつこいほうでした。後輩に引き継ぐために同行したときにも「いや、ちょっと強引すぎますね」って言われましたね。それでも、そうやって買っていただけるのであればいいと思ってましたし、会長はすべてうちで独占するところまで求めていますので、少しでもそれに応えたいと。さすがにすべてはできませんけど、求めるところに近づける努力をする、ということですよね。

すべては現場で得てきた
農家の生産コストを下げる、そのための企業努力
私が入った頃から、ちょうど農業関係の資材も売り始めて、まさに会長が「十勝農業に貢献する」と方針を決めて走り出したところでした。
トラクターにさまざまな作業機械を付けて農作業をするんですが、そういった作業機械は年中使うわけじゃなくて、ちょっと使って終わっちゃうんです。土を耕す時だけに使ったり、種をまく時にだけ使ったり、収穫する時だけ使うものもあります。一年を通して使う期間は数日なのですが値段は高価。だから、なるべく自分で修理や整備できれば、生産コストが下がって、農業にも貢献できる。というようなことが会長の頭にあったんですよね。だから、それに私も賛同して、一緒になって電動工具やコンプレッサーなどの農業資材販売に取り組んでいったんです。
セイカンとして初期に農業資材として力を入れて取り組んだものの一つが農薬マスクでした。もともとガスマスクとして重松製作所が作っていたものを、会長が直接東京のメーカーさんに出向いて交渉して、農業用に改良してもらったんです。それを北海道立農業試験場に持っていって、農薬マスクとして使えるという承諾をいただいて。既存の農薬マスクもあったんですが、それは効き目が弱かったこともあって、セイカンが作った農薬マスクはかなり売りましたね。
電動工具も最初期から取り組んでいたものの一つです。これを農協さんに扱ってもらうのは非常に苦労しました。やっぱり既存のものがあるんですよ。そうすると農協さんもわざわざ危険をおかしてまでセイカンから取りたくないですよね。安価なものを持っていくんですけど、そのものが本当に良いのか、悪いのか?となって。初年度は、とにかくこの電動工具を扱ってもらうために各農協さんに徹底的に通いましたね。
何回も通っているうちに、担当者が怒りまして、「いらないって言ったら、いらないんだよー」って持っていった電動工具を投げられたこともありました。それでも最終的にはそこは私が一番仲良くなった取引先なんですけどね。そういうことがあっても営業なので喧嘩するわけには行きませんので、車に乗ってから窓を空けてね「ばかやろー」って叫ぶようなこともやったりしていました。いろいろなことがあって、私も営業としてやってきましたね。
いい資材を見つけるための台湾の買い付けには、私も会長と一緒に行きました。会長も私も言葉がわかりませんから。向こうの展示会に行って「何がいいか選定してくれ」って会長に言われてね、目視しながら、こういうのが必要かなって選んでいましたね。
農協では、新しい商材があるたびに営業しなくてはならないので、いかに占有率を高めるかっていうことを考えていました。農家に直接売りに行って、それを農協に取り扱ってもらうという形をとっていたので、使ってくれる人が多ければ多いほど農協にも入りやすいんです。だから、とにかく大事なことは情報収集。農家の人がどんなものが必要で、どんなものなら継続的に使ってもらえるか。そういう話を農家とできないと。関係性づくりですね。営業は商品を納品するだけじゃなくて、その農家からいろんな情報を得て、それで販売したり作ったりってことまでが仕事なんです。
みんなで作る、直す、なんでも売る
昔は開発も全部一緒だったので、みんなで集まって、改良するのに知恵を出して。メーカーで出している商品は、そもそも農業用として販売されているものではないんです。その中から、これは改良すれば農業用として使えそうだ、というものを探して部品だけ取り寄せて、こちらで農家の要望などを聞いて、設計して、それをメーカーさんに作ってもらう。それがうちの強みですよね。
牛舎ファンもそうです。羽根だけ買って、枠はこちらで作って。メーカーとしても、ある程度量産できることでコストも変わってきますから。営業で回っていて、自分のエリアだけじゃなく、他のエリアからも農家から声が上がっていて、どんなものが必要なのか。商品化のめどが立てば、会長が「じゃあやるか」ってなる。
だから、とにかく勉強しました。組合員に説明してくれって言われたらしなきゃいけないでしょ。今売っている機械はすべて自分で調べたり、メーカーの勉強会に参加したりしてね。売ってないものはないくらい、工具、プレハブ、トイレ、ハウス…。必要なものはなんでも売りましたね。
それで、一度社長賞をもらったことがあります。それは創業当時の社長(塚田五郎氏)の時代ですね。当時、所長だった会長が推薦してくれてね。私と、業務部長だった鈴木さんと。私が行っていた線が営業成績トップだったってことでね。そういう、社員を評価してくれる、見てくれている、っていうところもうれしかったですね。やってくれたことにはきちんと報奨するって常に言ってくれてましたから。

最初は反対だったコンテナ
いまではセイカンの主力の一つとなっているコンテナに関しては、会長がやるということだったんです。最初は私だとか、社長(塚田 真敏氏)も反対していました。全く知識がないっていうことと、これは農協に売るのがほとんどなので、今までの細かい資材とは違い、扱う量も多いですし、金額も大きい。
それに、国産との競争になりますよね。すでに他社がみんな入っているし。だから、果たして販売できるかっていうのが自信なかったんです。相当いいものか、安いか、でないと入れない。どっちかっていったら安く入るしかない。
だからもう最初の頃はですね、いろんな問題がありました。
一番最初にコンテナを入れたときは、船一隻をチャーターして、十勝港に入れたんですよ。芽室農協から注文をいただいた分ですね。それが、ひっくり返って潰れてたんです。それは、大変だった。15人くらいで行ったかなあ。リフトはないから手ですよ。朝早くから行って、昼食べたのが午後3時とか。もうダメだったやつはそこに置いてきましたから。次年度直してちゃんと売ってますけど。
それから、とにかく、最初はサビです。来るたびにサビの問題。当初はこっちでメッキかけようという話もあったんですが、もうコストアップなんてできない。だから、一度全部工場に引き上げてきて、補修して組み上げ直してから納品ってことをずっと繰り返してました。そのまま納品できるってことが、まずない。
それまで中国で使っていたコンテナっていうのは、主に自動車関連の部品を入れるものだったんです。そもそも農産物にマッチしてない。農業用として使うのには、やはり重量がかかるから強度がないとダメ。人が食べるものですから、サビなんかも困るわけです。それに大型のものもない。条件に合うコンテナじゃないとダメなので、強度計算もですね、会長のツテで耐圧試験をしてもらって、その結果を中国側に伝えるんですが、中国は自動化ではないので、同じクオリティでできてこない。メッキの被膜がどうとか、こうなると白サビが浮くとか、ネットの締め方がこうとか。中に緩衝材の役割で貼ったものがあったんですが、それも全然ダメで。それも剥がしたりとか。思い出すとキリがないですね。
だから、納品後に品質を指摘されることも多かった。納品してもドキドキしてるんです。何かあったらすぐ電話来て。弱いとか硬いとか、いろいろ言われるんですね。だから納品した後も、祈る思いでね。
でも、会長の性格ですからね。もう「徹底してやる」ってことで。あそこで辞めてたら、今はないわけですから。とにかく試行錯誤して現在の形になってるんです。でもやっぱり成長過程にはそういったものがつきものなんですよね。
販売できたのは、もちろん価格はありますが、会長の人間関係です。それ以外はないですよ。いくら安くてもね、それだけで全部切り替えるかっていうと、そんな簡単なことでもないだろうし。やっぱり人間関係ができていないところで取引すると、安い分クレームもつきやすい。だからやはり人間関係ですね。
それが、十勝から札幌、旭川と全道に広がっていって、今は全国規模ですからね。コンテナ事業専門の2課ができて、今の1課、2課、サービスっていう三本の柱ができたんですね。道外の展開や今のインターネットでの展開っていうのは、副社長(塚田 博信氏)の功績だと思います。また全然違うやり方で本州展開していったので。クレームは品質が安定してくると同時に徐々に減っていきましたね。

原動力は会長の熱意
亡き父の姿を重ねて
私ね、親父が小さい時に亡くなっているんです。だから、会長は親父的な感覚でずっと思ってました。すごいキツイこともあるんですけどね。意見がぶつかって、書類を投げ捨てられて帰られたこともあります。でもね、その後に必ずフォローしてくれて後腐れもないんですよ。「さっきは悪かった」って。そういう包容力があるところにですね、ほれてましたね。
会社を大きくしたい、みんなを幸せにしたいとずっと言ってましたから、その熱意というのは私はすごく感じていました。経営者ですから、数字っていうことを常に考えていますよね。みんなの生活がかかっているわけですから、そういった数字には厳しかった。それは当然です。
私も他のみんなもそうなんですけど、本当に負けるのが嫌だと。競合というのは必ずあって、無風ということはないんです。私は勝負には引き分けはないと思ってます。勝つか負けるかしかない。営業に行ったら、「あ、あれ他社に取られてる」ってことがあるんです。私は1個取られたら、2個取るようにしてました。全員がそうはならないとは思いますが。失敗はどんな時もありましたよ。ありますけど、それで終わらせるんじゃなくて、それを活かしてやってきましたから。失敗で終わらせていたら、もうとっくに会社は潰れてますよね。
38年間、その後もアルバイトで仕事をさせてもらって、私は本当に幸せですね。家族も養ってこれましたし。やっぱり会社から本当に必要と思われるような、そういう人間にならないとなかなか難しいってことですね。会社は当然やっぱり厳しいことを言ってきますよ。私も泣き言をいったこともあります。営業していると良いことばかりではないですから。でも、会社は経営してるんですから、やっぱりそれをきっちりと自分で納得してやるということが1番ですね。今はすぐに転職する人もいますけど、長くいると自分に残ることが絶対あります。会社に貢献するっていうことで頑張っていれば、最終的に自分の力になりますからね。

とにかく行動がすべて
昔は机を叩いたりとか言い合いをしたり、いろいろそういうこともありましたけど、自分の力をつけるためにも、やはり行動がすべてだと思います。行動が結果を生むんですから。行動しないことには何も生まないということですよね。私たちの時代はとにかくレールを敷いていくことが大変でした。今は、そこをいかに早く走るか。当然それぞれの苦労は違うと思いますが、若い人にはとにかく全力でやって、行動して欲しいですね。そして、お客さんも含め、人間関係を築くことですね。
例えば、修理一つでもそうなんですけど、壊れたものを直してくれと頼まれる。それをきっちりやってあげる。「セイカンから買ったらちゃんとやってくれる」っていう信頼関係ですよね。それが対個人に来るようになれば本物だと思うんです。そこまでの信頼関係を築けるかどうか。それには、行動することが大切だと思います。
この会社で勤められて、今も、社長、副社長が頑張ってくれて業績を伸ばしているというのは、私にとっても誇りですね。

このエピソードのDNA
- 営業は断られても簡単に諦めない。情報収集が仕事
- 経営者の思いに共感し共に歩む
- まずは行動。行動することがすべての成果を生む